2024/09/26
高校の音楽の先生が、15の夜を授業中に歌ってくれて、尾崎豊を知り、ハマってしまいました。あとは、クラスメートの加藤くんと言う友達が、おすすめしてくれて、尾崎の話ができるようになり、よりハマっていくようになりました。
どのくらいハマってしまったかというと、こういう本を読んで、「なぜ尾崎は死んでしまったのか」の真相を知りたくなってしまうくらいでした。
尾崎豊を好きになったのは、声と歌詞です。
例えば15の夜の歌詞の一部
「盗んだバイクで走り出す 行先も わからぬまま
暗い夜のとばりの中へ」
当時の私:夜のとばりって表現なんなん。カッケー。
学校にはちゃんと通っていましたが、卒業式の挨拶が終了したタイミングで、誰とも言葉を交わさずに自転車置き場に直行し、そのままいつもと同じように帰る感じで、ソッコーで帰宅してしまうくらい、何も思い入れがなく、またシステムに合っていませんでした。
なので、「ハマらざるを得なかった」と言う感じです。よくできてる、この尾崎の歌は。あの当時、やっぱり響いてしまうのでした。
青春期特有の、よくわからないどこにぶつけたらいいかわからない、モヤモヤをうまい形で表現してくれていたな、と。
ただ、尾崎豊は自分にとって、少し危険でした。どんどん内面に、内面に、深ぼって行ってしまい、出口がなくて溢れた何かが、他人を傷つけてしまうような要素がありました。実際、「卒業」と言う歌の中で
「夜の校舎 窓ガラス 壊して回った」
と歌われており、さっきのバイクを盗んでいることなどを含め、安易に鵜呑みにすると、ただの犯罪者です。
その後に、ブルーハーツに聴く音楽が切り替わり、本当に良かったと思っています。尾崎豊に惚れ込みすぎて、変なふうに捉えていってしまい、内面がどんどん他者危害へ向かう可能性がありました。
何が違うかというと、ブルーハーツの終わらない歌では
「終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズどものために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼らのため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように」
「クソッタレの世界」や「彼ら」のためにも歌われていたのでした。世界は、クソッタレだと思っていた自分にとって、そのクソッタレの世界を少しでも笑えるようにしていこう、そう言う、他者共存の実現を目指す方に切り替わったのでした。
リンダリンダでは
ドブネズミみたいに 美しくなりたい
写真には映らない 美しさがあるから
となっており、ドブネズミみたいなもんだと思っていた自分を、鼓舞する、セルフイメージを、ひたすらあげまくることで立ち向かっていました。
ドブネズミだからって、自分で自分を舐めんなよ、美しいかもしんねーじゃん、そう言う見方だってあるんじゃねえのかよ、と誰かを傷つける方向ではなく、自分を満たす方向にシフトしていくのでした。
結局、尾崎豊さんの作品に、色々と内面というものが深掘りされたおかげで、自分と向き合うことにもなった、そういうきっかけを与えてくれた尾崎豊さんに、感謝です。そして、今でもたまに聞いては色々と思わせてくれます。刺激を与えてくれています。
最近好きな曲は、
「Freeze moon」です。