2024/10/24
この小説は、有名すぎて私などが語るに足らないものではありますが、私なりに衝撃を受けたことがあったので、記載しています。
もはやこちらの「青空文庫」に掲載されており、誰でも好きな時にこの人の頭をハンマーで砕くような文章に、無料で触れ、出会うことができます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/301_14912.html
冒頭の文章、
恥の多い生涯を送って来ました。
で、持ってかれました。この後続きを読みたくなる書き出し、私の中でNo. 1でした。
やばいです。いや、「やばすぎた。」
過去形になのは、当時の記憶を思い出したからです。私がこれを読んだのは、確か20歳に至らない時代であった、あるいはその付近の今振り返れば、とてつもなく若き時代であった、と記憶しています。
恥の多い生涯を、自分も送ってきた、という浅い自認があったのか?わかりません。
ただ、「俺も。」と思いました。
当時、自分を誇れると思ったことがありませんでした。かといって、卑屈になってもいませんでした。ただ、恥ずべきことであるように、捉えられそうでもありました。
その時の現在として、「恥」というものについて、進行形であるな、そういう雰囲気が漂っていました。
よって、何かしらのコンプレックスや満たされない思いの中で、生きていたのだと思います。当時、完全にもうあの時代の感覚は取り戻せませんが、ここについては、私の中でも確かにそういう心持ちであったなと、思い返すに至ります。
「太宰治?つまらなそうだな。」
はい、私の最初の印象はそれです。教養のない人間が、浅はかに発する言葉の最たるものであります。
国語の教科書に載っている時点で、魅力を失わせていました。真面目な大人の、教育という視点で構築された、子供をコントロールするための、「何者かに作り上げられた文章」であるような、錯覚をしていたのです。つまり、意図があると。
そんなふうに、斜に構えてしまう性質が、あったのだと思います。
しかし、太宰治は言うでしょう。「別に教育なんて知らねえ、そんなつもりは微塵もない」、と。
文章界のストリートファイトで発せられた極めて純粋なものであると、この出だしの冒頭の文章から自然と読まされてしまい、気づかせてくれました。