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読んだ本の中からピックアップその17「死とは何か イェール大学で23年連続の人気講義」

time 2023/08/15

読んだ本の中からピックアップその17「死とは何か イェール大学で23年連続の人気講義」

私自身、タナトフォビア(死恐怖症)の性質を少なからず感じており、正直、真正面から向き合うと気が狂いそうになる瞬間があり避けてきた。

しかし、常にそれは事実としてあり続ける。諸行無常、形あるものいつかなくなる。

永遠なのか、本当か、時の流れは続くのか。いつまで経っても変わらない、そんなもの、あるだろうか。

 

よって、この本を知ってはいたものの、読むことはできずにいた。相当なメンタルをコントロールできる状態じゃないと、多分読んだら精神を持ってかれるんじゃないか、と思っていた。

しかし、今年はなぜか行けそうな気がした。もしかしたら、マレーシアに行ったのが大きいかもしれない。

ヒンズー教の聖地に足を踏み入れ、果てしない階段を上りきり、そこで行われる所業をみた、聞いた、感じた。

故に、死というものへの得体の知れないものという恐怖が、一定遠ざかった、あるいは怖がるほどでもないと思うくらい、身近になったのかも知れない。

 

この本の文体は、以下のような形で進められていく。

 

死は今、私にとって悪いはずがない。私は生きているからだ。そして、死は私が死んでいるときに私にとって悪いはずがない。なぜなら、その時点で私はもう存在しないのだから(そのときに、どうして物事が私にとって悪いなどということがありうるだろうか?)。もし死には私にとって悪い時点がないのなら、死は私にとって悪いというのは、事実とされているものの、けっきょく本当は事実ではありえない。普通信じられているのとは裏腹に、死は本人にとって悪くはないのだ。

シェリー・ケーガン. 「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 (Japanese Edition) (pp.126-127). Kindle 版.

 

常に、私の中であるのは「死後」どうなるのか?であった。

すべての意識は無に帰すことになり、大切な人たちとも永遠の別れが訪れる。そんなのは嫌だ、嫌すぎる。

でも、それは絶対に訪れることなんだ。それを突きつけられている気がして、怖かったのだ。

いや、それがリアルに感じられる日が、今まで何度もあったから、その時の恐怖心が蘇るのが怖かったのだ。

夜中に突然目覚め、「ああ、死ぬ運命だ」と思う。

それは、頭が狂いそうになるくらいリアルで、生命の有限性という、物体の持つ宿命、限界を突きつけられる感覚になる。

つまり、今ある意識、身体、全ては借り物であり、一瞬、自分のものではなく生命というプログラムが備わっているだけのもの、意識と身体の乖離が、問答無用湧き上がるタイミングが、目覚めとともにある。

そのまま、苦しんだ結果、床につく。目覚めると、普通の朝が待っている。

これを繰り返してきたんですね。

 

しかし、向き合ってみるタイミングだと思い、この本を読みました。

結果、「救われる部分」が大きかったです。よって、読んで良かったと思いました。

何を持って、「死」と定義するのか、「死」は悪いのか、悪いとすればどういった点で悪いのか、などだんだん主観的であった「死」が客観的に捉えられるものに変わっていきます。(少なくとも、私にとっては)

似たような感覚がある人には、興味深く読めるかも知れません。

プロフィール

荒井浩介

荒井浩介

株式会社ARIAという会社を2014年に立ち上げました。勉強カフェを大阪と兵庫でやってます(西梅田、本町、寺田町、江坂、難波、神戸三宮、西宮北口)。中小企業診断士令和2年合格。記録をアップしていきます。 ただいま様々な「100のアウトプット」に挑戦中。 [詳細]

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