2024/10/24
2022年の読んだ本の中で読んでよかった本一位。
星野リゾートの星野さんのお薦め書籍になっていて知った。
「邪悪な人」の分析の中に、誰もが感じる共通性もあり、
その度合いに応じて「邪悪」になるかそうでないか、が決まると。
また、邪悪というものに自己愛が関係している。
つまり、他者を一切考えない思考が、邪悪を生み出し、
そしてその思考が自らを苦しめる。他者を考えることで救われるのは実は自分である。
完全性という自己像を守ることに執心する彼らは、道徳的清廉性という外見を維持しようと絶えず務める
イメージ、外見、外向けと行った言葉が邪悪な人たちの道徳性を理解する上で重要なものとなる、
彼らには善人足らんとする動機はないように思われるが、しかし善人であるかのように見られることを強烈に望んでいるのである
どうだろうか。「完全性という自己像を守る」という行為は少なからず誰もが持つナルシズムではないだろうか。
邪悪な人たちは自分を完全だと考えていると私は書いた
しかしながら、それと同時に彼らは自分自身の邪悪な性格に対して名状し難い意識を持っている
というより彼らが死に物狂いになって逃れようとしているのがこの意識である
邪悪性の基本的要素となっているのは罪悪や不完全性に対する意識の欠如ではなくそうした意識に耐えようとしないことである
彼らは自身の邪悪の欠如ではなく、そうした意識に耐えようとしないことである
彼らは、自身の邪悪性を自覚していると同時にそうした自覚から逃れようと必死の努力をする
つまり、嘘をつくということは自分の弱さからくる逃避であり、いろんな形になってそれが表面化する。
嘘というわかりやすいものだけではない。自分の不完全性を認識しながら、それを認めることができない。実は現実を受け入れ、自分という個体の清濁を併せ飲むことができるかどうか、そこで邪悪性を帯びるかどうかが決まるのではないか。
邪悪な人たちというのは一般的な意味での苦痛からの逃避者、つまり怠惰な人間ではない
それどころか彼らはご立派な体面や世間体を獲得し維持するためには人並み以上に努力し、奮闘する傾向がある
彼らに耐えることのできない特殊な苦痛はただ一つ自分自身の良心の苦痛、自分自身の罪の深さや不完全性を認識することの苦痛である
自分の罪悪感と自分の意思が衝突した時に敗退するのは罪悪感であり
勝ちを締めるのが自分の意思である
邪悪な人たちの異常な意思の強さは驚くほどである
あらゆる人生のその時のステージによって、捉え方が変わってくる書籍だと思った。
何度か読むことで、より深く理解できるだろう。またどこかのタイミングで、今一度本書を読み返したい。