2024/10/24
2014年9月から大阪に来て、ARIAという会社を立ち上げ勉強カフェアライアンス制度に加盟し、
本町店をオープンしてから、この7年と半年で、様々なご縁に恵まれ、
大阪うめだと天王寺寺田町をOPENさせることができ、大阪市内には直営店で計3店舗になった。
吹田市内にはARIAではなくライセンス発行元の運営により、吹田江坂がOPENした。
去年から、執行役として中に入らせてもらっている別会社が運営する兵庫県内には、神戸三宮と西宮北口がOPENした。
これら合計すると、6店舗となりそれなりの規模になった。
2014年の立ち上げからしばらくは、考えることは本町店の1店舗のみでよかった。
常に現場に入り、そこで起こることの全てを把握し、問題が起これば当然に自らすぐに対応した。
現在は、ありがたいことに関わる店舗が増え、これらの店舗の総力戦となった。
多くの地域の方々に貢献できる一方で、サービスレベルの底上げが課題となっている。
そして、その時に思い浮かぶ言葉がある。
「会社の中で起こる問題はトップしか放置できない」
誰かが言っていたのかも覚えてなく、あるいは自分の中から出てきたのかもしれないが、
これがすごくピンときている。
近いことをコンサルタントの一倉定先生が言っていた、
『電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、全て社長の責任である』
『いい会社とか悪い会社とかはない。あるのは、いい社長と悪い社長である』
これらの言葉たちを、この7年と半年て実際に小さいながらも複数の店舗運営をに携わる中で、実感が伴ってきた。
間違いなく、その通りである。
提供しているサービスが悪いのは、従業員のせいではなく、全てトップが悪い。
だから、勉強カフェの大阪で起こる全ての質の低い何かがあるとしらら、それは自分の責任です。ごめんなさい。
簡単に言うと、マヌケでだらしないってことです。
その問題に対処するスピードがない、アイデアがない、指導力がない、トップの出来が悪いから。
死に物狂いで事業に向き合い、どれだけそこにコミットしてるか?
会社の中で誰よりも働いているか?
四六時中経営のことを考え、常に改善をする姿勢があるか?
シンプルにそこです。時間が足りないなら、体力でカバーしろ。
何か質の低いサービスにであったなら、その従業員を責めるのではなく、トップを責めるべきです。
その質の低さを容認しているあるいは気づく感性がない、その仕組みを用意できないトップに責任があります。
それが嫌なら、トップの座から降りろ。もっと優秀な人間に任せた方が全員が幸せになる。
逆境は最大の成長の糧になる
働けることは実は人間根幹にある喜びでもあると言うことです。
事業を通じて、世の中の多くの人に喜んでいただき、やりがいを得ることができる。
社会と繋がっていられる。
そこで出会う、あらゆる困難に真摯に向き合い続けることで、創意工夫が生まれる。
痛みがわかるようになり、人間性が養われる。
その時は、もう2度とこんな目にあいたくない、と心の底から思う。
しかし、振り返ってみればそれが人生におけるターニングポイントで、負けずに乗り越えたからこそ
今がある、と言う視点がその先の未来で訪れることがある。
善行を積むことで、善果が訪れる。
運命には波があるとして、それが運気低下の時期でも、善行の積み重ねでその低迷を最小限に抑えることができたりする。
森羅万象については科学によるアプローチには現時点では限界があり、不明なことだらけであるため、抽象論でのアプローチになり、精神世界の話になってきますが、だからこそ今だに宗教が多くの人の心を掴んでいる。
説明のつかないことではありますが、そのような波というのがある気がしてしょうがないです。
よって、些細なことも丁寧に心を込めて処理をしていくこと。
心を込めるというのはなんなのか、わからないが、心を込める。そこに何か滲み出るものが出てきて、伝播する。
事業で言えば、お客様に感謝し、誠心誠意迎え入れる。
綺麗事のようなものが並べられすぎているかもしれませんが、私にとっての流派がこれだと思いました。
いろんな流派があっていい。私が現時点で模索する中でたどり着いた、流派、思考はこれです。
具体的には、ゴミ箱を磨きまくる。常に整理整頓を意識し、トイレは綺麗に保つ。
余談ですが、組事務所というのはホコリひとつないように高度なクリンリネスが、特に若い衆によって保たれているということです。
理由としては、やはりホコリの多い事務所では、他事務所にナメられる、あるいは統制力が弱まるからでしょう。事業とは別ですが組織の行動原理として参考になります。
不義理や不手際で指詰め、下手すればどこかの海に沈められる治外法権の世界観の中であるのはきっちり仕事するかどうか、だけの基準でわかりやすい。拳銃を喉奥まで咥えさせられて謝罪した話などもあり、それに比べれば日常は平和なものです。
本で読みました。
組織のボトルネックは常にトップ
組織の何かがうまくいっておらず、適切に社会貢献もできておらず、適正な利益も生み出すことができない、これらの要因を解決できる仕組みを備えさせない、トップの実力不足が全ての原因であります。
全責任を負う、それは文字通りであります。成長を阻害しているのは他の誰でもない、トップであります。
だったら、成長しろ。凄まじいスピードで。二宮尊徳を見習い、薪を担ぎながら読書する心算で物事に取り組め。
トップは、自らかつ組織の中で唯一ブラック労働を課すべきであります。そういう世界です。
労働法が適用されない特権とも言い換えられるのです。好きなだけ働けます。それは尊いことです。
このような世界であることを持って、独立起業という言葉を発せられるのが、本来正しい姿であります。
いろんな原因を探す前に、鏡を見るのです。足を引っ張っているのは、他でもない、トップです。
他責に善果なし。
嘆いている暇があるなら、働け、考えろ。創意工夫と継続した努力で挑むしかない。
時代は、よりニュートラルに仕事だけのことを考えない時代になりました。プライベートの充実という言葉、
多様性の時代。これらは、ほとんどの多くの人にとって当てはまりますが、社長は当てはまらない。
会社が傾けば多くの人を路頭に迷わせる。その重みを、それらの後ろにあるものを背負っていることを忘れるな。
潰れそうなら、時には休み本気でケアしろ。メンタルがやられないことも、それらも含めて経営だ。
HARD THINGS(ベンホロウィッツ著)という本という良著があり、私もたまに読み返しますが、その中の象徴的な一節があります。
私は自分が心理的にタフだと思っていたが、実際に経験してみると、とてもタフどころではなかった。私はとんでもなくソフトだった。私は長年の間に何百人ものCEOと話す機会があったが、みな口を揃えて同じ気持ちを味わったという。・・・CEOには「もうこんな仕事は投げ出したい」と思う瞬間が繰り返し訪れるものだ。実際、私は多くのCEOがこの圧力に負けて酒浸りになったり、辞めていったりするのを見てきた。
どの場合にも彼らは怖じ気づいたり、投げ出したりすることを合理化するもっともな理由を挙げた。しかし、もちろんそれでは優れたCEOにはなれない。優れたCEOは苦痛に耐えねばならない。眠れない夜や冷や汗 — 私の友達のアルフレッド・チュアンはこれを「拷問」と呼んだ。私は成功したCEOに出会うたびに「どうやって成功したのか?」と尋ねてきた。凡庸なCEOは、優れた戦略的着眼やビジネスセンスなど、自己満足的な理由を挙げた。しかし偉大なCEOたちの答えは驚くほど似通っていた。彼らは異口同音に「私は投げ出さなかった」と答えた。
成長するためには、向き合い続け「投げ出さない」こと。
投げ出したくなる場面で、ただひたすら投げ出さないこと。
徳川家康が言っている。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
間違いない。日々を大事に、逆境にさえ感謝し、。精進してまいります。