2024/09/26
大企業の真似をしていてはダメなのである。
中小企業だからこそできる、小回りの効き方、
細かい部分の配慮、独自性。
「勉強カフェならでは」のものをいかに増やせるか、
そして、ただそれが変わっていたり独自性があるだけではたりず、
何よりも実際にそれが「カフェに来てくれる人のために」ならねばなるまい。
新たな市場価値を作る、という勢いで臨まねばならない。
つまり、拒否されることを恐れてはいけない。
最初は理解されず、徐々にその価値がわかっていくようなものだ。
人々が無意識に望んでいる世界とはどのようなものか。
学ぶ人が無意識に望んでいる世界とはどのようなものか。
それが体現された時、その世界観に触れる空気ができた時、
おそらくステップは上がる。
そのために、執り行うべきさまざま項目があり、それを考えてみたので記す。
・学習環境の整備
→まず、徹底的に店内を清潔に整頓できる状態を保つことが前提となる。基本中の基本だ。
そのための仕組み、スタッフの意識向上はもちろんのこと、
利用者それぞれがマナーと秩序ある行動のできる民度レベルの高い文化を育む。
「掃除は最高の準備運動」「掃除をすると心も綺麗になる」
企業のスタンダードにすること。
また、利用者のマナーも激しく重要となる。そのために、健全な雰囲気を作るための
調整を行うこと。
・横のつながりの強化としてのアウトプットの場
→勉強カフェの特徴として、様々な会員様と知り合うきっかけがあり、
勉強したことを誰かに伝えることのできるアウトプットの場としての機能がある。
しかし、これらをうまく使いこなすのが一部の方に限られているため、
より多くの人が使いこなせるように、仕組みを整えていかねばならない。
「カスタマーサクセス」という言葉を耳にする機会が増えたが
ここに注力する。
使ってくれる方が、どのようにすればもっと勉強カフェを使いこなすことができるのか。
コンテンツ自体が良くても、それを使いこなせなければ無いのと一緒なわけだ。
また、そのために必要なのは専門性の高い分野だけでなく、
幅広く対応できる、より多くの人が参加出来る分野での定期的な
集いが必要だ。
よって、専門性の高いコミュニティ(例えば弁護士だけ、やTOEICだけ、など)
の他に、どなたでも情報交換ができ、それが人生を向上させるような、もしくはそれ自体が
楽しいような会を定期開催していくこと。
目指すのは、がっつり関わるコミュニティではなく、
いつでも好きな時にかかわったり離れたりできる、
「接続できる」、「広く弱いつながり」と今言われているような
ど真ん中のコミュニティだ。(もちろん、そこから深くなるのは互いが望めばより良いことだろう)
・「出会い」とは「学び」であるということを断言する
→そこから知る自分。また、多くの人と話し、情報を共有した経験こそが
進化させる。多様性を身につける。
そこにはいろいろな人がいるでしょう、
話が合わないこともあるでしょう、そしてその日で終わることもあるでしょう。
しかし、それを恐れていたら新しい出会いはないのです。
大人数よりも少人数が好き、という人が案外多いことがわかった。
よって、少人数に焦点を絞った会を複数行う方が、いいのではないか、
という仮説に至った。実際に、中身も深くなるし、勉強カフェというじっくり取り組む
カフェのコンセプトとも照らし合わせると、少人数でも大人数に比べて目の前の人を
より深く知ることができる方がいい、と考えている。
実際、自分も交流会に参加した時に、深く話すのは数名なので、であれば初めから数名で
行えばいいじゃん、という算段である。
・デザイン
「カフェで過ごした1日」になるか、「自習室で過ごした1日」になるかは、
大変重要なのだ。その繰り返しが、日々になり、人生になるのだ。
であれば、カフェで過ごした1日、捨てていい日などない。できるだけ気分よく、毎日を過ごしたいのだ。
そのために空間としては快適さの他に、飽きのこないデザインを取り入れていく必要がある。
ココイチのカレーがなぜあれだけ流行っているのか?
しかも、とびきり美味しい!というわけではないのに、でも食べたくなる。
それは、緻密に「飽きのこない」味を追求しているからである。
空間に置き換えた場合、
一定のデザインというよりも、奇抜ではない変化を持たせることだろう。
・人間性を育める場所でもあること
これは、仮説段階であるが、コミュニティに関わるということは
つまり人間社会で楽しむということである。
それは、傍若無人な振る舞いではなく、配慮をしあい、
人間性を備えた人のみが許される特権である。
ゆえに、人間性が育まれる必要が有る。勉強、と言っても
さまざまにその種類はある。しかし、その根源である、人間性という
大きなテーマは、幸せになるために誰もが追求するであろう。
漠然としてしまったが、それは感謝や礼であり、
こう表現してしまうと堅苦しいわけではあるが、各々、生きる上での美学というものが
幼少期からさまざまな大人と接したり感動(エンターテインメント)に出会うことで
培われているはずで、その美学を極めよう、という趣旨である。
・己自身の成長
これは、私事であり、しかし最大に今必要な最重要項目である。
今、店舗が2つあるが、店舗、会社というのは、オーナーの力量に全て
起因しているということが、机の上でなく、実際に4年間の実務を経て、
実感を持ってわかった。
つまり、日々のクオリティである。また、ビジョンと本気度、そして勇気ある行動。
近くにいる人間を5人見れば、その人がわかる、という言葉があるが、
これを店舗に置き換えれば、周りにいる人間は、その人に近いフェーズにいるものだ。
経営者の実力が伸びマインドが洗練されてくるとより強い生命力を持った人はそこで育ち、増え、会社はより発展に向かう。
そんな気がする。
覚悟と本気度を持って一緒に戦う志ある者が集っているなら、そのエネルギーを受け切り循環させる
器を備えねばならぬ。
一つの答えとして、気になることが怖いものである場合、怖いければ怖いほど、そこに飛び込め、ということだ。
岡本太郎の言葉ではあるが、行動指針は怖いことをやる、ということ。
今までも、怖いと思ったことを行った。
結果、まだ生きている。さまざまな支え合ってのことだ、ありがとうございます。
これからも怖いことをやる。
同じようにできてしまうことに、激しい成長はない。怖いと思うくらい自分には見えない雲のうえにある何かを
見つけに行くことこそが、人生なのではないか。
また、もう一つ大切にしている言葉がある。
「静かに健やかに坦々と行く。」(元々はイタリアの諺からインスピレーションを得ているが、これはオリジナルである)
先ほどと矛盾するようだが、
継続して同じことをやり続ける忍耐力と集中力のことだ。
最高なのは、それが忍耐にはならず習慣に組み込まれていることだ。
同じ動作がつまらない、といって投げ出してしまううちは真の成長はない。
ではそれがどのようにすれば楽しくなるのか、を考えよう。
3つ目に、「メンタル」がある。
理想と現実のギャップに、いつもくじけそうだ。でも、その時に救われる言葉が、
「HARD THINGS」という本に書いてあった。だから、メモした。
>CEOには「もうこんな仕事は投げ出したい」と思う瞬間が繰り返し訪れるものだ。
実際、私は多くのCEOがこの圧力に負けて酒浸りになったり、辞めていったりするのを見てきた。
どの場合にも彼らは怖気づいたり、投げ出したりすることを合理化する最もな理由を挙げた。しかし、もちろんそれでは優れたCEOにはなれない。優れたCEOは苦痛に耐えねばならない。眠れない夜と冷や汗—-私の友達のアルフレッドチュアンはこれを「拷問」と読んだ。私は成功したCEOに出会うたびにどうやって成功したのか?と訪ねてきた。凡庸なCEOは優れた戦略的着眼点やビジネスセンスなど、自己満足的な理由をあげた。しかし、偉大なCEOたちの答えは驚くほど似通っていた。彼らは異口同音に「私は投げ出さなかった」と答えた。
投げ出さないこと、これしかない。ものすごい単純だ。しかし、一番大事だ。
そして、自己嫌悪は敵だということが最近の気づきであり、
自分に対する矛盾を抱えていいのだ、ということを発見してから楽になった。
己の中に良い部分と嫌いな部分が共存している。それで良いんだ、と。
情熱的な時、ドライな時、大胆な時、繊細な時、それらがまとまっているのが人間だ。
それで良いんだ。両極端を持っているほど、人間の振れ幅は大きくなる。
「大善は小悪に似たり、小善は大悪に似たり。」
いい人でありたいと願ったのは、その言葉への背景をどこまで理解しているか、
甘かったと現実が教えてくれた。
その先にある大善のためには、嫌われたり批判されたりしても大善をなすために振り切り推進していくパワーが必要だと。
なぜ、このようなことをわざわざ文章にして公開するのか?
アウトプットのためであり、思考をもっと深めたいからである。
また、このように文章で公開すると、そこから好意的な意見、批判的な意見も含めてではあるが寄せられる。
それは発展のためにはいいことだ。
また何ヶ月が経ってこれを見返したら、「あの時は何を言っていたんだ?」となるかもしれない。
でも、そのくらい変化するスピード感を持って、
今この状況にいる日々をスクラップアンドビルドしていきたい。