2024/09/26
コミュニティマネージャーが、どのようなことを判断基準にすればいいのか?
考えてみました。
これは、紛れもなく、「場」、つまりコミュニティの正解は何か?であると結論づけられます。
ではどのようなことなのか?
例えば、エアコンの温度設定を例にあげます。
これは勉強カフェでもよく調整するためにいろんな意見が寄せられます。
ある人は、「寒い」
ある人は、「暑い」
その人によって、気温の「正解」は異なります。
だから、一人ひとり、その度ごとにコロコロ変えていると、
一人にとってはいい気温になりますが、それ以外の人にとって、
いい気温になるとは限りません。
つまり、「客観性」・大多数の意見の集約、が大事なのです。
ここで、私が特に使う概念があります。
それは
「最大多数の最大幸福」です。
これはつまり、
「集団の利益というものを一番に考える」ことになります。
例えば、ある町に新幹線が通ることになり、海辺を通るAルートと、山奥を通るBルートの2案が出てきたとします。そのとき、どちらを通ったほうがより多くの住民の便益を見込めるか、ということを測定して決めていくことです。
エアコンでも、どの温度が最も皆が快適に(あるいは不快にならずに)過ごせるか、を重点的に考えます。
このように例を挙げていくと、当たり前のように聞こえますが、
コミュニティマネージャーですら、
気づかないあらゆる場面でそれが生じているのです。
極端な話ですが、例えば、あるAさんという利用者がいて、
コミュニティマネージャー自身との関係が良好でも、
その場にいる他の人が一定数その人に不快な感情を抱いている場合、
「場の正解」「最大多数の最大幸福」に則れば、
そのAさんには、適切に、場への影響を調整いただく(コミュニケーション手法を大きく変更する)か、
それができない場合は、「場」から離れてもらうほかありません。
この判断に私情が入ってはいけないのです。
判断基準は、あくまで「場にとってどうなのか」なので、一切ぶれてはいけません。
コミュニティの出来やすい、「バー」や「スナック」では、それが顕著に現れます。
一人のモンスターユーザーが、場を崩壊させる、ということが少なくないようです。
「サードプレイス」という、コミュニティづくりを研究した本がありますが、
そこにも研究事例としての記述がありました。
オーナーにとっては、モンスターに見えない場合でも、それが「場」にとってモンスターであれば、それは感情を抜きにして、調整します。
おそらく、これは政治家のそれに近く、
「国家にとってどうなのか」の視点が欠け、「自分にとってどうなのか」にそれが変わった時、
癒着や献金による、ベトついた関係から、判断基準が、
国家の利益ではなく個人の利益へとシフトされ、権力の私物化が発生するような。
ゆえに、公益性の配慮と、場(対個人)との調整力が必須になります。
この二つの視点は、コミュニティマネージャーをコミュニティマネージャーたらしめている、大きな要素です。
この二つの視点を、研究して、スキルアップしていくことが、そのままコミュニティマネージャーとしての価値になります。
「場の正解」に近づくために。
まずは、「場の正解」を意識して、私心を捨て去り、「場の正解」にのみフォーカスを当てるように意識することからです。