2024/10/24
今月より、Schooさんの生放送授業と録画授業を勉強カフェ大阪で一緒に受講する取り組みを始めています!
Schooは365日、無料のオンライン生放送授業を開催。「未来に向けて今あなたが学んでおくべきこと」をテーマに、働き方・お金・健康・テクノロジー・ビジネス・ITスキルなどの最先端を皆で一緒に学んでいきます。(HPより)
早速、9月15日(日)に初開催させてもらいました。
「集中力 -仕事に没頭する心理学-」
Schooさんのコンテンツ自体は、基本的に生放送は無料で録画を見る場合にはプレミアム会員(月額980円)になると受け放題になります。
Schooさんの理念の中に「世の中から卒業をなくす」というのがあり、その想いとして学びは知的娯楽である、というのがあります。
これには私も大いに賛同であり、学習は何かをするための手段ではなく、目的でもあると思っています。
つまり、遊び。
遊びは何かをやるための手段ではなく、それ自体が目的です。
学び自体が楽しいので、大いに目的になりうるわけです。それを存分に楽しもう!と言うのがSchooであり、勉強カフェでもあると思っています。
ただし、学びはそれだけで終わらないのがいいです。
知的好奇心を満たした後は、そのあとの生活に応用可能であり、資格を取得すれば国から認めてもらえたりもする。金を稼ぐ源泉になる。会話が広がる。
仮に、それがただ楽しくてやっていただけだったとしても、です。
勉強カフェのコンテンツとして今回のSchooさんの授業を活用させていただくわけですが、
小さなキャンパスライフのようなものを目指し、例えば3回連続の授業を全て受講された方には勉強カフェから認定証などを発行させてもらおうと考えています。
例)プログラミングの基礎シリーズ全3回を受講 → プログラミングの基礎受講修了書を発行
何かの証明に、です。特にそれが公的な効力があるかと言うと、そうではないのですが(笑)
実際、Schooさんのもう一つの理念の中に、「学習のログを残す」と言うものがあります。
これは、その人の学習ログを残すことで、例えば転職や就活の際に、この人はこう言うものを学んできたんだな、と言う一定の信頼が生まれます。
それが、現在国や民間から発行されているいわゆる資格試験に当たるわけですが、
合格という一つの基準だけでなく、もっと多面的にその人の学習ログを捉えて、ワンポイントで個人の学習記録を確認できるようにするのが狙いです。
資格試験同様に、実務の実力はその人がその職についてみないと判明しないわけですが、
少なくともリスクヘッジにはなりうると考えています。
一定のITスキルは当然あると期待されて入社→ブラインドタッチもできない、パワポもエクセルもわからない、、、orz
ということが、学習ログに「プログラミングの基礎」「OFFICEの基礎」などがあれば、資格試験の合格はなくとも、安心感があります。
この辺の基礎的なスキルがないと、事務処理スピードに著しく差がつき、もっとその先のスキルを教えたいのにこの時点でつまづいてしまい出遅れることにもなってしまい、
いわゆる採用側と志望者側のミスマッチを生む要因にもなります。
よって、勉強カフェでの学習履歴ももっと可視化できたらいいなと思っています。
これらを踏まえて、「世の中から卒業をなくす」Schooさんと、「LEARNING NEVER ENDS.」の勉強カフェのシナジーを探っていきます。
今回の授業は「集中力 -仕事に没頭する心理学-」
でした。
開催するともれなく私自身も学べるので、せっかくなのでこのブログでその復習ノートをアップしていきます。
簡単にまとめると、集中力を阻害する要因として、「将来の不安」が大きく関係していると。
一瞬、関連性がないように思えますが、実際には大きく関わっていると、授業を受ける中でわかってきました。
例えば、勉強をしているときに、ふと「あ、あれをやってなかった」や「本当に結果が出るのかな、、、」などの基本的に未来の不安が阻害しているわけです。
これは目から鱗でした。
確かに、それらは意味がない。今、大事なのは目の前の勉強をすることであって、終わってから考えればいい。考える時間に、そういった類のことは考えればいい。
私であれば、サウナがその時間に当たります。
マインドフルネスにも通じますが、今、この瞬間に没入する。
もしも、集中力が今日ないな、と思ったら、「将来の不安」がそれを阻害していないか、考えてみるだけでも変わるかもしれません。
思えば、学生時代も「こんな問題解いて将来なんの役に立つんだよ!」とか言ってましたが
将来の役にたつとかどうかは、別の時間に考えればいいわけです。その時間は将来の役に立つかどうかは置いておいて、問題に集中すればいい。
ちなみに、余談ですが学生時代の勉強が役に立つかどうか、は今になって振り返ると、あらゆる実務に応用可能なタネがその中に含まれてるので、
もしもそれ以上に打ち込める情熱のある何かがない限りは、やっておいていいと思います。
学校側は、先生の質でインプット格差が発生してしまう課題(授業の質が低いクラス)
と、学習レベルの差による非効率(できる人はもっと先の問題を解けばいいし、そうじゃない人はじっくり今のレベルを解けばいい)
を解決するために、全部、選ばれた講師による動画授業にしてほしい。
インタラクティブにコミュニケーションを図る授業であれば、リアルでやる意味もあると思うけど、
半分以上は「聴いてるだけ」でたまに質問されたら答える、みたいなもので、
リアルでやるより録画で早送り再生した方が明らかにインプットレベルも
上がるし教員の負担も下がるので、今後の人口減少にも対応するためにもそうなってほしいと思う。
不登校の問題も、結局集団生活に馴染めない、が多くの理由な訳で、「授業がつまらない」から不登校、ではないはず。
であれば、それも個性と認めてしまい、不登校の子でも勉強自体はやれるわけで(むしろそっちの方が勉強だけ見れば優秀だったりする)
、クラスに馴染めないなら、家で動画授業をひたすら受けて卒業させてあげても、マジでいいと思います。
あとは自分の場合ですが中学校からヤンキーになるのが多い地域で、そのうちの3分の1くらいは地頭の良さを感じていて、
「ヤンキーになろうぜ、俺たち!」みたいな同調圧力に負けていて、もったいないな、と思った。
(ああ、ヤンキーというブームに乗ってタバコも吸い始めて族とつるみ始めてしまったか、、、)と眺めていた。
※数名は「院」に送られ、ブームではなく本物だったケースもある
いい友達もできるのが集団生活だけど、謎の同調圧力で、本来の個性が消えて一時的なヤンキーみたいなブームに乗っかって勉強のポテンシャルを失っているケースもある。
そういう意味で、コミュニティに対して適度な距離を置ける状態を確保できる授業のオンライン化はいいと思います。
脱線してしまいましたが、
この授業を受ける中で一つの幸せの結論さえも出ました。
それは、「今この環境、この瞬間に激しく感動すること」
であります。
幸せというのは物でもなく、なるものでもなく、感じるものであります。
「何もないけど、全部ある」
これこそが、最高の状態だと。
だから、「将来の不安」というのは今この瞬間に集中するためには、関係ないことであり、
そして目の前にある素晴らしいものを見過ごしてしまうことにもなってしまいます。
日々に集中する、とは幸せの一つかもしれません。
こんな学び、気づきのある授業でした。
今月も生放送、録画、含めて三回行います。